雨の降る日は一度は必ず万事屋の押し入れの中に出入りした。
押し入れのなかでひそひそ声で話すのは、いつだって空想の話だった。「押し入れの奥のワンダーランド」とか「妖精を見た」とか「幽霊を見た」とか、そんな話。だけど神楽ちゃんの話した「小さいおじさん」の話は、あきらかにただ単に身長の低いおじさんの話だった。「かぶき町駅に行くと、たくさんそんなおじさんいるネ!」なんて言っていたし。だけど基本的には神楽ちゃんの話すことをあたしは何だって信じたし、神楽ちゃんもあたしの話すことはなんだって信じた。空想を絵にかいてみたこともあったけど、あたしも神楽ちゃんもあまり絵が上手ではなかったから、それはすぐに飽きてしまった。そういういかにも夢にあふれた少女らしい遊びをする一方で、あたしたちは、いたずらもよくした。例えばいたずら電話とか。さかたぎんときの昔の馴染みであるらしい、桂さんというお侍さんがいる。桂さんとあたしとの出会いは、あたしがたまたま万事屋にいたときに、桂さんが万事屋を訪ねにきた、という特に何の変哲もない出会い方だった。そのとき神楽ちゃんは当然のごとく鳴ったチャイムに反応しないし、さかたぎんときはジャンプに夢中になっているし、新八君はお通ちゃんの新曲を聴いていた。だからあたしが仕方なく玄関に出た。「はーい今出ますよー」と言いながら戸を開けると、そこには黒髪長髪の、美貌の青年が立っていた。あたしはなんだかぽわーんとした気持ちになってしまった。「銀時君いますか」とそのひとは言った、「はい」とあたしは少し俯き加減にそう答えた。それから新八君がいつもお客さんにしているように、「とりあえず、中にどうぞ」と言った。それがあたしと桂さんが初めて顔を会わせたときに交わした会話。
子ども心にこのひとは見かけによらず、間抜けというか少々天然ボケなところがあることに気付くのに、そう時間はかからなかった。だけどあたしは桂さんのことが嫌いではないので、極力桂さんのボケには付き合ってあげることにしている。桂さんは指名手配犯で(何であんなに良いひとが指名手配犯なのかあたしにはよく理解できない)真選組に追われているからかくまってほしい、という理由でよく万事屋を訪れる。桂さんは頻繁に万事屋を訪れることもあれば、突然ぱたりと来なくなることもある。真選組といえば母がその屯所の女中さんとして働いている。だから当然母には桂さんのことは内緒だ。そういうとき、あたしはまるで二つの世界を交互に生きているような感じがする。
あたしが15歳になった年のある日、桂さんがおばけの9ちゃんのような黄色いくちばしのついた白くて大きい謎の生物を連れてきたときにはびっくりした。桂さんとそのユニークな外見をした謎の生物の組み合わせはなんだか言葉で言い表せない、とにかくシュールな組み合わせだった。その桂さんのペットはエリザベスという名前らしいけど、神楽ちゃんがエリーと呼んでいるから、あたしもエリーと呼んでいる。桂さんはそれからというものエリーと共に万事屋を訪れるようになった。真選組に追われているから、かくまってほしいと。万事屋のみんなは事前に知っていたみたいだったから平然としていたけれど、あたしははじめてエリーと桂さんの組み合わせを目にしたとき、なんだかびっくりしてしまった。だけど同時に、あたしはエリーをはじめて見たとき、とてもかわいいと思ってしまった。さかたぎんときは「女のかわいいの基準ってよくわかんねえよな」と言った。桂さんは「殿は見る目があるな」と嬉しそうにした。 そのすこし前に神楽ちゃんが拾ってきたとても大きくて白い犬、定春を万事屋で飼い始めていたから、エリーを単独で見たときにはそんなにも驚かなかった。ただ、エリーと桂さんの組み合わせに驚いたというだけだ。神楽ちゃんと定春のはなしは、またつぎの機会にしようとおもう。



いたずら電話をするとき、あたしたち、というか神楽ちゃんは桂さんを利用した。桂さんの家、というより桂さんは攘夷志士なので同じ攘夷志士同士で共同生活を送っている、その下宿みたいなところに遊びに行った。電話を借りに。
「ヅラー。いないアルかヅラー。」神楽ちゃんが戸を叩く。数秒後、「ヅラじゃない、桂だ」というお決まりの台詞とともに、桂さんは顔を出す。ここだけの話、あたしは桂さんのことが結構好きだ。桂さんはハンサムだし、それに優しく親切で、いつも話を聞いてくれる。それからなにかとあたしのことを気にかけてくれるのだ。桂さんはあたしにとって、まるで王子さまみたいなひとなのだ。あたしがうっとりとしていると、桂さんが口を開いた。
「おや。リーダーに殿ではないか。」桂さんは嬉しそうな顔をする。桂さんは殿、とお侍さんらしい、とても古風な呼び方であたしを呼ぶ。桂さんは相手が子どもだろうが大人だろうが、態度を変えない。誰に対しても敬意をはらって接する。まあ多少子どもに対しては甘く接するというか、色々と世話を焼きたがる。あたしは桂さんのそういうところを尊敬している。 でも、殿なんてつけなくたって良いのに。じぶんの名前の呼ばれ方について多少の不満はあったものの、あたしは桂さんがじぶんの名前を呼んだこと、それから微笑を浮かべたことに関してますますぽわーんとした、うっとりとした気持ちを募らせる。桂さんは一応革命家ではあるけれど、基本的にはひま人なのだ。桂さんはあたしと神楽ちゃんを自室に招き入れてくれる。桂さんの部屋はとても簡素だ。書斎みたいな部屋。まず本棚があって、そこには本がたくさん並んでいて、その横には小さな文机が置いてある。そしてその上に電話が置かれている。それだけだ。桂さんの部屋は、畳の香ばしいにおいと読み込まれた古い本のにおいがする。桂さんが座布団をふたつ、押し入れから出してくれながら言う。「今、お茶をいれてきてやるからな。久々の客だ。茶菓子も出そう」あたしたちは茶菓子という言葉に、喜びの声をあげる。桂さんは満足そうな、嬉しそうな笑みを浮かべ、部屋から出て行った。

神楽ちゃんはさっそく万事屋に電話をかける。あたしも受話器の近くに寄って、聞き耳をたてる。ぷるるる、と何回かコールが鳴って、そのあと「はい、万事屋銀ちゃんですが?」というさかたぎんときの間の抜けた声がした。この時点であたしたちはくすくす笑い声をあげている。「すんませーん宇宙海賊本部と間違えましたー」「あ!ってめ!その声神楽だろ!」とさかたぎんときが慌てふためいたときに電話を切る。その反応がおかしくて、あたしたちは笑い転げる。そういう電話を何度か繰り返していると、当たり前だけど、さかたぎんときが怒りだす。「すみません、悪の組織さんですか?」「……おいてめえらいい加減にしろよ。銀さん忙しいの、もう今日は10件くらい仕事の依頼入ってて超忙しいの。もう朝から電話が鳴りやまないの。だからいたずら電話はやめて?」
「1日に10件も依頼入ったことなんてないアル。銀ちゃん嘘つくと閻魔様に舌抜かれちゃうアル」「なにこの子うざいんだけど!いたずら電話にいそしんでるやつらに言われたくねえよ!というかおまえらいまどっから電話かけてんの!」「すみませんであります!総統!」「なにが総統だこら。おまえら帰ってきたら正座だからな。立ち上がるのも困難になるくらい正座だから」
そのとき、桂さんがお茶と饅頭が乗ったお盆を持って、部屋の中に入ってきた。神楽ちゃんはガチャリと受話器を置いた。

「おや?どうしたリーダー」
「ヅラ。電話ネ」
「電話?誰から?」
「銀ちゃんネ」
「なに?銀時?珍しいな」
「お茶飲み終わってからで良いからかけなおしてくれって銀ちゃん言ってたヨ」
あたしと神楽ちゃんと桂さんの三人は、それからしばらくお茶を飲みながら談笑した。
「桂さん、このお饅頭おいしいね」
「そうだろう。攘夷饅頭といってな。特注品だ。化学調味料は一切使用していない、すべて自然由来の成分で作られている。ほら、表面に攘夷と書いてあるだろう?これを食べればきみらも攘夷志士の仲間入りだ」
はっは、と桂さんは笑う。
「私、副業としてなら仲間に入っても良いヨ」
「桂さん、もしあたしが将来就職できなかったら、攘夷志士の仲間に入れてよ。事務か何かで採用して」
殿なら喜んで歓迎するぞ」
「駄目アル。ちゃんは万事屋ファミリーの一員アル」
「そうだった」
神楽ちゃんが少しむっとした顔でそんなことを言ったので、あたしは思わず笑ってしまう。冗談でもあたしを「万事屋の一員」と神楽ちゃんが言ってくれたことに、胸があたたかくなる。
「ところで殿、ちゃんと食べてるのか?」
桂さんがお茶を啜りながら言った。
「食べてますよ。でも最近たまご料理ばっかりで。あたしたまご料理しか作れないから」
「おやおや偏食はいかんぞ。うちは栄養士がついてるからな、たまには二人で飯でも食いにくるといい。栄養満点だぞ」
「な、なんで栄養士なんかついてるの」
「仲間の健康を案ずることは上に立つ者として当然のことだ」
「ふうん」
「私、カレーが良いアル」
「良いぞ。二人が遊びに来るときには特別にカレーを作らせよう」



その日万事屋に帰ると、さかたぎんときに頬っぺたをつねられた。そしてほんとうに正座させられた。「わざわざヅラんとこまで行って電話かけてやがったのかこのやろう」と。結局あのあと桂さんは折り返し万事屋に電話をかけたのか、そりゃばれるよね、「どうしてかけなおしてくれなんて言っちゃったの、ねえ神楽ちゃん!」と神楽ちゃんを見ると、「だってそれしか上手い言い訳が思いつかなかったアル」と言った。「ぜんぜん上手くないよ神楽ちゃん!たしかに脈絡は上手だったとおもうけど」 神楽ちゃんは頬っぺたをつねられていても、平然とした顔をしている。 あたしはただ横目で眺めていただけだったのに。あと、桂さんを眺めていただけだったのに。おまえのくすくす笑う声もばっちり聞えてんだよコノヤローとあたしは再び頬っぺたをつねられた。「なにおまえのほっぺた餅でできてんの?すげえのびるんだけど」とさかたぎんときはあたしの頬っぺたをのばしたり縮めたりしながら、あたしの頬っぺたに関する感想を述べた。「あたし頬っぺただけには自信あるんです」ほっぺたをつねられていると喋ることにも一苦労だ。「いやそんなところに自信持ったってしょうがねえだろ」

さかたぎんときは二日酔い、朝帰りの醜態をときどき晒した。神楽ちゃんはさかたぎんときの寝ている部屋に忍び込み、さかたぎんときの顔に落書きをしていた。眉を繋げられ、ダンディーな髭を書き足され、更には閉じられた瞼に少女マンガ風のきらきらとしたお目目を書き足されたさかたぎんときの顔は可笑しくて、あたしは笑いをこらえることに必死になる。神楽ちゃんは落書きし終わったさかたぎんときの顔を色々な角度から眺めては笑い転げていた。もちろん声は出せないので、お腹を抱えて、声にもならないどこか苦しそうな変なうめき声をあげながら笑っていた。新八君はそんなあたしたちの姿を見て、「ふたりともたいがいにしないと銀さんに叱られるよ…」とやや控えめな言い方で注意した。あたしはさかたぎんときの頬をりんごほっぺみたくしただけだけど。あ。あと、鼻の下に鼻毛を数本付け足した。
さかたぎんときが目覚めたとき、勿論神楽ちゃんは説教される。思いっきりほっぺたをつねられながら。どうしてなんだかあたしも両方のほっぺたをつねられた。「おまえらときたらまったくしょうがねえなあ」さかたぎんときは溜息をつきながらも、ほんのすこしわらってくれた。叱ったあと、「しょうがねえなあ」と困ったように笑うさかたぎんときが、あたしはとても好きだった。








だけどいたずらの後どんなに叱られたって、当時のあたしたちは自分たちより一回りも年上の男の人をからかったり、いたずらを仕掛けたりすることがたまらなく楽しいと思っていた。主にいたずらを仕掛けていたのは神楽ちゃんであって、あたしは膝を抱えて座りながら、ぼうっとそれを眺めていただけだったけど。笑いをこらえながら。
もちろん純粋にいたずらというものを楽しんでいた気持ちもあったけど、あたしが神楽ちゃんの仕掛けるいたずらに好き好んで参加していた理由はみっつある。ひとつはただ純粋に神楽ちゃんとの遊びは何でも楽しかったからということ、 ふたつめは叱られたあと、困ったように笑うさかたぎんときの顔が見たかったこと。
それからもうひとつは、普段はさかたぎんときのような大人の男のひとになかなか相手にしてもらえないことからの微かな苛立ちやもどかしさ、切なさを募らせていく一方だ、だけどそのときばかりは、じぶんのちいさな手のひらのうえで大人の男のひとを転がしているようで、いたずらを仕掛けるたび、あたしはなんだか恍惚とした気持ちになった。そういう感覚が好きだったこと。本当は「転がしていた」のではなく、「転がってくれていた」、だったのかもしれないけれど。運の良いことに、あたしたちの周りにいた大人は、優しいひとばかりだったから。あたしは夢見がちな女の子であった一方で、実は結構ませた女の子でもあったのかもしれないと、いまさら思う。



あたしとあのこは、さいきん、いつもばかみたいにわらってばかりいる。どうしてなんだかおかしくておかしくて仕方がないのだ。 じぶんがこの街に来てからの孤独な日々が、泣いてばかりいた寂しい日々が、まるでうそのようにおもえた。ときどき寂しい夜もあったけれど、ひとりで過ごしていたときよりか、倍その気持ちはやわらいでいた。泣いてばかりだったおんなのこが、さいきんは笑ってばかりいる。それさえも、おかしい。おかしくて、わらえる。