朝目覚めたら、六畳ほどの部屋の真ん中に敷かれた布団に横たわっていた。その隣には神楽ちゃんが同じような布団で横になっていた。すぐには状況がつかめなかった。だけどじぶんが今万事屋にいるのだということはなんとなく理解できた。
神楽ちゃんは寝相がわるいらしい、布団から極端にはみ出たところ、むしろ足だけがかろうじて布団の上に乗っかっていた。すやすやとかわいらしい寝息をたてながら眠っていた。あたしは上半身を起こす、昨日のことを思い出す。いつの間にか眠ってしまっていたのか。バイクの後で眠るなんて、よく引きずり落とされなかったものだなあとあたしは自分に感心した。それで、万事屋のお兄さんが眠ってしまったあたしをここまで運んでくれたのかな、そんなことをまだ完全に覚醒しきっていない、ぼんやりとした頭のなかで考えた。陽の光が柔らかくて、透明だった。朝の澄んだくうき。あたらしいくうき。外で鳥が囀るこえが聞こえてきた。良い朝だとおもった。頭はすっきりしていた。あたしは大きなあくびをひとつした。それからほぼ何もかけずに眠っている神楽ちゃんに、毛布をかけた。神楽ちゃんを起こさないように、そうっと物音をたてないように、あたしは布団から抜け出して、襖をあけた。昨日、神楽ちゃんと新八君と大富豪をした、中央の部屋。ふだんは相談を受けるための部屋。昨日と印象が違って見える。

まっしろな朝の眩しい陽の光が、部屋全体を照らしている。あたしのきらいな、朝の陽の光。でも今日は、なんでだか悪い気がしなかった。陽の光にきらきらと儚い輝きを保ちながら、埃がはらはらちゅうを舞っていた。あたしは誰もいない中央の部屋のソファの上に、膝を抱えて座ってみる。ふとじぶんがはだしだということに気がついた。靴下だけは脱がせてくれたのだろうか。はだしのあしで他人の家に上がり込んでいる。なんだか新鮮な気持ちだった。

立ち上がって窓を開ける。はだしのあしに床の感覚がつめたい。冬のつめたいくうきが部屋に入り込んでくる。ぱっと眩しい白い朝陽が目覚めたばかりの眼球を刺激する。眩しくて、思わず目を閉じた。澄みきった朝のつめたいくうきが新鮮で、深呼吸した。その後吐いた息は白かった。窓を閉めて、またソファの上に膝を抱えて座った。そのなかに顔を埋める。

あ、ちょっと寒いかも。
いま、何時なんだろう。

「お嬢さん」

朝の風景と一体化しているかのような、静かで落ち着いた低い声だった。さかたぎんときだ。あたしはぱっと顔をあげた。昨日のことを思い出し、思わず正座してしまう。

「おじさん」
「おにいさんと呼びなさい」

さかたぎんときは眠たそうに目を擦っていた。寝起きの髪はあちらこちらが跳ねていた。さかたぎんときはストーブのスイッチをいれたあと、あたしの前のソファにどかっと腰掛けた。あたしは昨日のことを怒られるではないかと思い、少し縮こまってしまう。さかたぎんときの顔は蒼白い。

「あの、きのうはごめんなさい」

さかたぎんときは大きなあくびをひとつする。

「ああ?別に謝るようなことなんてしてねえよ、おまえ」
「でも、」
「良いから。コンビニ行くついで、ちょっと走らせたかったんだよ。一人で行こうとしてたのが、たまたま一人増えただけ」
あたしが何か言いかけた言葉を遮り、さかたぎんときはあたしの顔を見ないで言った。眠たそうな顔。頭をぽりぽり掻いている。とても自然な口ぶりだった。

「お兄さん」
「ん?」
さかたぎんときがあたしの顔を見る。
「あの、お願いがあるんですけど」
「金ならかさねぇぞ」
「ちがいますよ。なんでこどもが大人にそんなお願いするんですか」
「金以外のことなら良いぜ」
「…昨日のこと、母さんには言わないで」

あたしは正座した膝の上に乗せた両手に視線を落としながら言った。なんとなく小声になってしまう。母は普段は優しいけれど、ひとに迷惑をかけるようなことをあたしがしたとき、怒る。

「話す意味がわからん。あのヒトには関係のないことだろ?」

さらりとそう言ってさかたぎんときは立ち上がり、台所へと向かっていった。あたしはじっとさかたぎんときの背中を追う。銀色の髪の毛が陽の光にきらきら柔らかく輝いていた。冷蔵庫を開けて、いちご牛乳を取り出した。

「おまえ、昨日あのヒトのことママって呼んでなかった」
さかたぎんときは笑みの含んだ声でそう言った。
「…だって。ママがそう呼んでって言ったから」
あたしはとりあえずママには昨日のことを言わないでいてくれるのかな、そう受け取って良いのかな、とほんのすこし途方にくれた。
「ほんとかわんねえな、あのヒト」
さかたぎんときは可笑しそうに笑った。あれ。あたしのお願いについての話はもう終わったのかな。
「…お兄さんは、ママとどういう関係なの?」
「昔の知り合い。しがない街のよろずやと客」
「そっか」
さかたぎんときはとても簡素な言葉であたしのママと自分との関係を表した。あたしはそれ以上追及すべきではないと子ども心に思い、返事をした。

「あたし帰ります」
「べつにまだいたって良いんだぜ。どうせ暇だしな。朝飯くらいなら出すし。卵かけご飯だけど」
「母さん、昨日、ご飯作って仕事行ったみたいだから。それ食べなきゃ」
「そうか。ちゃんがいると神楽がうるさくねえからな。また来いよ」
「うん。今日も遊ぶ約束したから」
あたしがそう言うとさかたぎんときは笑みを浮かべた。静かで柔らかい笑みだった。

それから洗面所を貸してもらい、洗面だけを済ませて、あたしは帰る準備をする。さかたぎんときはあたしを玄関まで送りにきてくれた。

「カーチャン住み込みで働いてるんだっけ?」
「うん。でも、土日は家に帰ってくる」
そうか、とさかたぎんときはあたしの頭に手を置いて、ぐしゃぐしゃと髪をかきまぜるみたいに、撫でた。力が強くて不器用だけど、やさしい手つき。あたしは思わず口元を綻ばせ、笑ってしまう。万事屋さんは「送ってやろうか」と言ってくれたけど、あたしはあえてそれを断った。それに、なんだかすこし歩きたい気分だったのだ。

「万事屋のおにいさん」
「ん?」
「ありがと」

あたしはさかたぎんときの目をしっかり見ながらそう言って、笑った、我ながらこどもらしい笑みを浮かべたと思った、そしてそのまま扉を開けて、外に出た。踏み外さないようにゆっくりと階段を下り、柔らかい朝陽が降り注ぐなか、じぶんの家へと向かい歩いてく。街はまだ動き出さない。人通りは殆どない。足取りはとても軽かった。わりと街から離れたところにアパートはある。頭をからっぽにして、ひたすら歩いた。

昨日、あれだけ帰りたくないと思っていた鉄筋コンクリートの古いアパート。階段の手すりや建物の表面には蔦が絡みついている。相変わらずそこは静かで、しんとしていた。だけど朝はどこに行ってもくうきが同じかんじがする。どこに行ってもしんと静か。アパートの住人専用の駐輪場に目をやる。バイクと自転車が何台か止まっている。ところどころが錆びついている、鉄筋コンクリート二階建の古いアパート。白い朝陽がさんさんと降りしきる。階段を上がり、自分の名前の記されたプレートが貼り付けられた扉を開ける。部屋はカーテンが閉め切られていて、薄暗い。
「朝帰り?」昨日神楽ちゃんがさかたぎんときに対して言っていた言葉を思い出して、くすりと笑う。お風呂を沸かして、母の作ってくれた夕飯を電子レンジであたためて、四分の一くらい食べた。朝はあまり食欲がない。母はいまごろ、どうしているのだろう。神楽ちゃんはまだ寝てるかな、さかたぎんときは二度寝しているのかな、そういえば新八君の姿が見当たらなかった。他の部屋で寝ているのかな。あたしはお風呂に浸かりながら、そんなことを考えた。某有名漫画のヒロイン、しず●ちゃん並みに、あたしはお風呂が好きなこどもだった。お湯をいっぱいに張った浴槽に浸かっては、一日の出来事を回想したり、空想を膨らませたりした。それは今も変わらない。そしてふと思った。鼻のあたりまでお湯に浸かりながら。ぷくぷくとお湯の表面に泡が浮かび上がる。( あの夜のことは、きっとあたしとさかたぎんときの秘密なのだ。さかたぎんときだってきっと誰かにそれを漏らすことはしない。うん。たぶん ) そしてお風呂場の白い天井を見上げながら、同時にぷはっと息を吐きながら、てひひひ、と神楽ちゃんの真似をして笑った。だけどじぶんがその笑い方をすると思っていた以上に可笑しくて、恥ずかしくなった。そしてそれが可笑しくて、また笑う。神楽ちゃんの笑い方が好きだった、あたしもあんなふうにわらいたいとおもった。また顔の半分までお湯に浸かった。とても寒い日だったから、白い湯気でお風呂場はいっぱいになっていた。

そのあと、さかたぎんときは低血圧で、酷く朝が苦手であることを知った。あのひとはある意味とてもつつましいと思う、あのひとの優しさは、決して押しつけがましくなんかなく、とても自然だ。誰かが躓いたとき、自然な動作であのひとはいつも手を差し伸べてくれるのだ。あのひとは、いざというときはその身をすべて投げ出してまで他の誰かを守ろうとする。自己犠牲のかたまりのようなひと。そのあとさかたぎんときを遠目に見ながら、あたしが悟ったことだった。 そしてだれかに謝られたり感謝されることがあのひとは苦手なんじゃないかとおもう。だからあたしが謝ったとき、あのひとはあたしの目を見なかった。あたしがお礼を言ったときには、無理やりあたしが視線を合わせた。ああ見えて不器用なひとなのだ。たぶん。だからこそあたしは、躓いたとき、極力じぶんの足で立ちあがろうと。そう思うようになったのだ。それでもだめなら、。それからというもの、さかたぎんときは、あたしのあんしんとして、いつもあたしの心に存在していた。さかたぎんときにしてみたら、迷惑な話だろうけれど。