さかたぎんときは暫くの間、千の風になってを口ずさんでいた。はじめのうちは周りの人々の視線が気になって、恥ずかしかった。だけど次第にどうでも良いやとおもえてきた。むしろ、あたしはさかたぎんときのへんてこな歌に耳を傾けていて、それを聴いているうちに、じぶんの心がどんどん開放されていくような感じがした。さかたぎんときといると、そういう気持ちになった。それはきっとさかたぎんときが、あたし以上に突拍子な行動に出たからだ。

あたしは相変わらずさかたぎんときの背中に顔を埋めていた。さかたぎんときがへんてこりんな千の風になってを歌うので、あたしの唇からはじぶんの意志とは関係なしに、くすくすとちいさな笑い声が零れてしまう。それから、ほんのすこしだけ、泣いた。泣きながら、笑った。さかたぎんときがあたしのためにそういう気遣いをしてくれているのだということはわかっていた、その気遣いがあまりにあたたかくて、やさしくて、泣いた。うれしくて、あたたかかったから、泣いた、笑った。さかたぎんときはあたしの反応お構いなしに、千の風になってを口ずさんでいた。大きな声で。

次第になみだは乾いていった。あたしのなみだが完全に乾ききったころにはもう、さかたぎんときのへんてこな歌は止んでいて、バイクの走る単調な音だけが聞こえていた。もうだいぶ遅い時間帯なのかもしれない。道路を走る車は疎らだった。雨上がりの夜。湿り気を帯びた排気ガスのにおい。
すこしだけ顔をあげてみる。遠くのほうで赤や黄色、青、緑、紫、様々な色合いの街の明かりがきらきら輝いていてみえた。
さかたぎんときは何も喋らない。ただ前を見て、バイクを走らせている。だけど相変わらずさかたぎんときの背中はあたたかい。さかたぎんときの目的地は近所のコンビニだったはずなのに、随分とおくのほうまで来てしまった。道路に掲げられた標識を見上げると、行ったことのない街の名前が記されていた。頬がつめたい。泣いて、笑って、感情が高まって、体が火照って、気がついたら、感情の高ぶりも、体の火照りも、心臓の鼓動も、落ち着いていた。あたしはとてもあんしんしていた。さかたぎんときの、原付バイクの後で。

頬がつめたくて、心地良い。夜の風はつめたいけれど、どこかやさしい。
さかたぎんときがアパートの前でバイクを止めたとき、感情が一気に高ぶって、そしてそれがなみだとなって溢れ出た。あたしがさかたぎんときに対して発してしまったその感情は、はらはらと真っ黒い冷たい夜空にむなしく放流されることはなかった、さかたぎんときの、あたたかくておおきな背中に、穏やかに溶けて、解けていった。高ぶった感情は、潮が満ちて引くみたいに、時間の経過とともに、ふっと通り過ぎていった。その一瞬、春の日差しのような柔らかな光が、ぱっとあたしの心に射した気がした。



あたしはそのとき、どうしても、じぶんのアパートに帰りたくなかった。鉄筋コンクリートのアパートの階段をのぼる。じぶんの名前の記されたプレートが貼り付けられているドアを開ける。誰もいない真っ暗な部屋。今朝から何も変わっていない、物の位置も、においも。ひんやりとしていて、冷たい。まるであたしの心みたいにからっぽで、抜け殻で、そこにはひとが住んでいる気配がまるでしない。ああでも、母が夕飯を作って置いたと言っていたから、料理のにおいが微かにする、だけどそれもまた、侘しい。母が料理をしていた、その余韻。

あの部屋に帰るのが、そのとき、どうしてもいやだった。神楽ちゃんの家。万事屋さん。木造建築二階建。万事屋銀ちゃんと記された大きな看板。階段をあがるとき、ぎしぎしと危うげな音がする。扉を開けると、誰かしら何か言葉を発してくれる。ひとの気配がする。そしてそれはとてもあたたかい。蛍光灯の安っぽい明かり。使い古された古いソファ。神楽ちゃんの溌剌とした声、新八君の、明瞭な声、さかたぎんときの、力強くも落ち着いた声。そういえば万事屋を形成してるメンバーは、みんなして声がおおきかった。
賑やかな万事屋の事務所は、あたたかくて、活気があって、ときにはそれをうるさいと思うこともあるだろうけど、でも、きっとその居心地は良いのだろう、まるで心の底に、根付いてしまっているみたいに。その、心地良さを感じさせる、おおきな「あんしん」が、万事屋さんにはある。
あたしは万事屋さんが、気にいった。神楽ちゃんのことは勿論好きだし、新八君のことも好きだ、そしてさかたぎんときのことも、好きだ。だけど万事屋の居心地の良さや万事屋のみんなの人柄の良さ、あたたかさを知ってしまった、だからこそ、冷たいひとりぼっちのアパートに、帰りたくなくなかった。



あたしはその一件以来、すっかりさかたぎんときのことを好きになってしまった。大人に対して体ごとすべて投げ出して甘えてしまった、はじめてのことだった。そのとき、この街に越してきてからのあの孤独な日々のぶんだけあたしは泣いた、そしてそれはさかたぎんときのあの大きくてあたたかなせなかに溶けていった。さかたぎんときは、あたしが泣いていたことに気がついていた。でも、そのことに関してさかたぎんときは何も言葉を発しなかった。大丈夫か、とか、どうしたの、とか、そういう表面だけをなぞるような言葉を口にしなかった。ただただあの大きくてあたたかな背中にあたしをゆだねさせてくれていただけだった。だからこそあたしは、さかたぎんときのことが好きになった。このひとは、ほんとうのことしか言わない。なにを思っていたのかどうかはわからない。だけど、あの大きな背中はあたたかかった。そしてあの大きな背中に比べたら、あたしの孤独や感傷なんて、あまりにちっぽけなものだった、拍子抜けしてしまうくらい、いとも簡単に、そのちいさな孤独や感傷を、一挙に包み込んでしまうのだ。

心にわだかまっていたもやもやは、いつのまにやらなくなっていた。そしてようやくまた新しい朝がくる。ちゃんとしなきゃと思った。ちゃんと生きていかなきゃと思った。さかたぎんときに甘えてしまったぶん、しっかり生きて行かなきゃとおもった。万屋さんと関わり合っていくうちに、そのあとあたしは益々そういう思いを募らせていった。あたしはあのころ、ロマンチストで感傷的で、甘ったれでだらしなかった、何も知らない子どもだった。いまもなおそういう部分があるけれど、でも、少なくともいまは、甘えたぶんだけそのあとは強く生きていきたいと思ってる。その発端となったできごとはきっと、とてもちいさなことだったのに。あたしはそうやって、さかたぎんときに対してふしぎな愛情を抱くようになっていった。