神楽ちゃん、それから万事屋さんと知り合ったのは、あたしが人生のなかで、たぶんもっとも孤独を感じていたときだった。 だから、はじめて神楽ちゃんの家、万事屋に遊びに行って、あたりまえに神楽ちゃんや新八君、それから万事屋のお兄さんがあたしを受け入れてくれたとき、とても気持ちが安らいだのだ。思わずなみだが滲みそうになった。あたしは優しくされると泣きそうになる性分なのだ。怒られたり叱られたり、かなしいことがあっても泣かない。寂しい気持ちのときは泣くけれど、それ以外では泣かない。でも、優しくされると泣いてしまう。どうしてなんだか。あたしは涙があふれそうになるのをぐっとこらえた。 夕方になっても、その日は雨が止まなかった。あたしたちは相変わらず寺門通のDVDをBGMに、ときどきどうでもいいような会話をしたり、トランプをしたりして遊んだ。古典的なトランプの遊びだけれど、大富豪をやった。久々にやったそれはたのしかった。新八君は見かけによらず姑息な手段ばかりを使うので、そのたび神楽ちゃんを怒り狂わせた。 夕方五時ごろ、さかたぎんとき、万事屋のお兄さんが起きてきた。 「おーい。新八ィー。いちご牛乳あったっけか。」 相変わらず気だるそうで、着物のあちこちが乱れていた。髪の毛も乱れていた。 「冷蔵庫にあるんじゃないですか。それより銀さん、昼に寝て夕方に起きるとかそういう生活を繰り返していたらどんどん人間だめになっていきますよ。生活リズムを整えることは、人間として大切ですよ。」 にんげんとしてたいせつ。 「うるせえなあ。しょうがねえだろーっておまえらずいぶん盛り上がってるじゃねえか。え?なにそれトランプ?大富豪?…っぷ。随分古典的な遊びしてるじゃない。中学生の休み時間か。」 万事屋のお兄さんは脛をぽりぽりかきながらそんなことを言った。冷蔵庫を開ける。 「いや僕らまだそれくらいの年齢なんで。」 「そうアル。ゲームばっかしてるよりよっぽど健全ネ。」 「つぎ、ちゃんの番だよ。」 そのとき玄関のチャイムがなった。 「おい、チャイム鳴ってんぞ新八。」 「たまには銀さんが出てくださいよ。ったく。」 そう言いつつも新八君は立ち上がり、玄関へと出て行った。 万事屋のお兄さんがあたしの前のソファにどすっと腰掛ける。手にはいちご牛乳を持っていた。 銀髪天然パーマのよろずやさん。あたしは思わずじっと見た。さかたぎんとき。万事屋さん。 さかたぎんときはあたしの視線に気がつく。あたしは何でだか気恥ずかしくて、あからさまに目をそらす。あたしはそのとき、人見知りするこどもだった。少し頬が熱くなるのを感じる。 「お嬢さんたち、随分仲良さそうじゃないの。」 なあ、と神楽ちゃんに向かってさかたぎんときは言う。その声には笑みが含まれていた。神楽ちゃんはてひひひ、といつものように笑った。 「銀さん。」 新八君が中央の部屋に入ってくる。どうやらお客さんはさかたぎんとき、万事屋のお兄さんに用があるみたいだった。 「んあ?どうしたよぱっつあん。仕事の依頼?」 「いや。なんか。すごいきれいなひとが来てるんですけど。あの、なんか、銀時君いますかって。昔の知り合いらしいです。」 「ああ?んなべっぴんの知り合いなんていたっけか。」 そんなことを言いながら、万事屋のお兄さんは頭をぽりぽりかきながら玄関へと出て行った。 玄関の声に耳をすませる。聞き覚えのある声だった。というより、あたしの頭の中に、完全に刷り込まれている声だった。 母の声だ。 あたしは思わず立ち上がる。「ちゃん?どうしたネ。」 玄関に行くと、やっぱりそこに母がいた。 化粧が施された顔。うっすら頬紅をさした頬。控えめにあまい香水のにおい。 あたしはさかたぎんときの隣に立つ。母はあたしに気がつくと、にっこり笑って手を振った。 「。」 母の色のある唇が開く。 「…ママ。」 「ママ?」 「……おかえり。」 「ただいま。」 「ちょっとおふたり?ここはあなたがたの家じゃないんですけど?」 「坂田君。こういうことなのよ。」 「え?あの。どういうこと?」 「よろしくね。」 母はそう言ってにっこりする。 「いや。その。いきなり来てなに。何年ぶりだと思ってるの?とりあえず奥あがれよ…、」 蛍光灯の思いっきりついた部屋で見る母の顔と、自分の家の、橙色の照明で見る母の印象はなんだか違う。仕事帰りの母。外のにおい。 「おまえら。ここは大人の話だから。奥の部屋で遊んでろ。」 とあたしと神楽ちゃん、新八君は奥の部屋へと追いやられた。さっきまで万事屋のお兄さんが寝ていた部屋の、隣の部屋。その部屋は簡素で、何もない。炬燵しかない。あたしたちは襖の隙間から中央の部屋をのぞく。神楽ちゃんを先頭に、新八君、それからあたし。新八君の頭がじゃまで、あまりよく見えない。母とさかたぎんときが向かいあって座っている。 「ええあのおんな、ちゃんのママンアルか?」 「う、うん、まあね。」 「え、あの。ちょっと状況がよく理解できない。あのひと、ちゃんのお母さんなんだよね?若くない?お母さん。」 「…ママが十代のころの子だから。あたし。」 あたしたちは小声でそんな言葉を交わしながら、母とさかたぎんときの会話を聴覚をフル活動させて聞こうとしていた。 : 「本当、かわんねえよな、あんた。化石みてえ。」 「坂田君はすっかり男前になっちゃってまあ。なに、ちょっと背のびたんじゃない?髪も短くなってすっきりしたじゃない。アンタは天然パーマなんだから、間違っても髪なんてのばすもんじゃないわよ。」 「なにその親戚のおばさん的な目線。」 「なつかしいわね。ほんとう。何年ぶりかしら。」 「なに?あのこあんたの娘さんなの?あのちっこかった娘さん、あんなにでかくなったの?」 それからよく聞き取れない声量でふたりは何か話していた。 「よく聞こえないアル。大人の話って何アルか。浮気調査アルか。」 「神楽ちゃん、ちゃんいるんだから…。堂々と浮気相談をもちかけにくるわけないじゃない。」 「うん。それはきっとないとおもう。」 「銀ちゃん、ちゃんのことむかしから知ってるみたいな口ぶりアル。ちゃん、銀ちゃんの隠し子アルか?養育費の請求アルか?ひそひそした声なのも怪しいアル。」 「だからそんなこともきっとちゃんがいるんだから堂々と相談をもちかけにくるわけないじゃない。 …ありえないよね。ね?」 「うん。それもきっとないとおもう。」 年齢差的に。ああでも。でも、母とさかたぎんときはそれほど年が離れているというわけでもない。万屋のお兄さんはたぶん20代で、母もまだぎりぎり20代であるわけで…。…だけどどう考えたってそれはないだろう。男なんてきっといくらきれいなひとだって若い女のひとのほうが良いに決まってるのだ。母はきれいだけれど、おばさんだし。年齢不詳だけど。それにさかたぎんときは母の話していた父とは全く違うタイプのひとだ。ただ、むかし万事屋さんにお世話になった、。万事屋さんとお客さん、という母から聞いた関係で正しいのだろう。たぶん。 暫く時間が経過して、さかたぎんときが立ち上がる。それからあたしたちのいる部屋へと向かってきた。あたしたちは平然と、炬燵でトランプの続きをやっているふりをした。ババ抜きのカードを配っているふり。襖が開けられる。「よーし負けないぞー」なんてあからさまに新八君は言う。のぞいてたってことばれたってべつにそこまで怒られやしないとおもうんだけど。 「おい。ちゃんだっけ。なんで早く言わなかったんだよ。まさかきみがこのヒトの娘だとはな。」 さかたぎんときに続いて母もまた部屋に入ってくる。 「通りでどっかでみた顔に似てると思ったんだよ。」 そう言ってさかたぎんときはあたしの顔をまじまじ見詰めた。 「なんかよくわかんないアル。ちゃんは銀ちゃんの知り合いアルか?」 神楽ちゃんは炬燵の真ん中に置いてある器から煎餅を1枚手にとり、ぽりぽりかじる。ぽたぽた焼きだった。 「……まあ知り合いっちゃ知り合いかもな。」 たしかに。あたしにとっては、名刺と母の話越しの、知り合い。 「これ。つまらないものなんだけど。良かったら食べてね。」 母はいつものようににっこりしながら、茶色い紙袋を炬燵を囲んでいるあたしたち…、こどもたちに手渡した。 有名なロールケーキのお店の紙袋だった。 「まじアルか!」 と神楽ちゃんは紙袋に飛びつく。それから紙袋の中身を開けて、「ロールケーキネ!」と歓喜溢れる声で叫び、かぶりついた。「私、食べることが大好きネ。」という話は聞いたことがあったけれど。びっくりした。恵方巻きじゃなんだから。 みんながいっせいに「あー!」という非難の声をあげる。ロールケーキは全部で三箱あったので、新八君が大慌てで残りの二箱を取り上げた。 「まあ。」と母は言う。いつものように、のんびりとした調子で。 「すみません。せっかくいただいたのに…」と新八君。 「礼儀正しいわねぇ。良いのよ、また買ってきてあげるから。」 「これめっちゃうまいアル!」 「こどもは元気でよく食べるのが一番ね」、と母は笑いながら、神楽ちゃんの口元についたクリームをハンカチでぬぐった。 「いやよく食べるってレベルじゃないんですけど」と新八君がつっこみをいれる。たしかに。 「なあ。俺のロールケーキは?」 「あらっそういえばきみ、甘いもの好きだったんだっけ。すっかり忘れてたわ。」 「あらっじゃねえよ。好きってレベルじゃねえよ。糖分がないと生きていけねえんだよ。」 「また何か差し入れてあげるわよ。。おいで。」 そう言って母はひらひらと手をふった。 あたしと母は玄関へと出る。廊下はひんやりと冷たい。 「。」 「なに?」 「なにかあったら、万事屋さんに言いなさいね。」 「…うん。」 「あのひとなら、あんしんだから。」 母はそう言ってほんのすこしまぶたを伏せる。落ち着いた表情。 「…うん。」 「。」 「なに?」 「ごめんね。また職場に戻らなきゃいけないの。今日はご飯作っておいたから。」 「うん。へいき。」 「じゃあ、もどるわね。」 母はそう言ったあと、あたしににっこり笑いかけながら、手をふった。あたしはまともに母の顔を見ることができない。"じゃあ、もどるわね"、思わずはっとした気持ちになる。ぽっかりと胸に穴があく。 期待を裏切られた気分だった。あたしは、迎えに来てくれたのかとばかり思っていた。心のどこかで期待していた。 今日は、こうして昔からの知り合いである万屋さんに寄って、偶然にもそこであたしを見つけて、それで、帰りにスーパーで食材を買って、一緒に家に帰って、母がごはんをつくってくれる。あたしもそれを手伝いながら、話をして、。 母は、扉をぱたりと閉じた。母が階段を下る音が聞こえる。同時に奥の部屋で、神楽ちゃんと新八君が、ロールケーキを取り合う声が聞こえてきた。 |