帰り道はまだ寒く、3月の下旬とはいうものの、春だなあとぼんやり思う程度にはあたたかな陽気の日がときどきある程度で、増して日が暮れてからは気温がぐっと下がり、まるで冬に戻ってしまったみたいにも感じられる。だけどそれでも、日が落ちるのはだいぶ遅くなった。屯所を出たのは夕方の4時半ごろで、あたしは帰り道に大江戸スーパーで買い物をしていくことにした。夕方の大江戸スーパーは夕飯の買いものをする主婦たちで混んでいる。あたしは買い物かごを腕に下げて、今晩の夕食の献立を考えていた。今日は母が家に帰ってくる日だ。万事屋さんと知り合ってからというもの、母のいない日の夕飯は、万事屋さんで食べることにしている。ひとりきりの食卓はやっぱり寂しく、あたしはいつのまに、万事屋さんもとてもありがたいことにあたしを歓迎してくれているのだから、万事屋さんで夕食を取ることに、躊躇う必要はないじゃないか、というきもちになっていた。そもそも万事屋さんは、あたしがそういうふうに思うことを、あたしがそういう躊躇いを感じる必要など、まったくない、あたしが遊びに行くたび、それを全身で言い表してくれる。言葉とかじゃなく。あのひとたちは、本当に、根っから良いひとたちなのだ。万事屋さんの台所には夕食当番表というホワイトボードが掛けられていてていて、そこには曜日と日付の下に、その日の夕食当番の人の名前が書かれている。そしてあたしは毎日のように万事屋さんに通っていて、金曜日だけは万事屋さんでご飯を作ることになっている。ちなみに明日は金曜日で、あたしの夕飯当番の日だ。献立はオムライスにする予定でいる。さかたぎんときは、オムライスのたまごを作るのが上手だ。さかたぎんときのオムライスのたまごはとろとろ、ふわふわで、鮮やかな黄色していて、すばらしく理想的なオムライスのたまごだった。だからチキンライスはあたしが作るけれど、上に乗せるたまごだけはいつもさかたぎんときが作る。 今日の夜ごはんは、うどんにした。かまぼこと、わかめと、ゆでたまごだけの、シンプルなおかめうどん。わかめとたまごは家にあるので、うどんとかまぼこをかごに入れた。あと、朝ごはんのシリアルと牛乳も切らしていたから、それもかごにいれた。会計を済ませて、買い物袋をさげて家路につく。今日は余所行きの着物を着て、母の働いている真選組の屯所の見学に行った。変な男の子と知り合った。その男の子とのやりとりは思いだすとなんだか気恥ずかしいものがあるけれど、まあ気にしない。それなりに良い一日だったと思う。明日は神楽ちゃんと久しぶりに町に出よう。鉄筋コンクリートのアパートに着き、じぶんの部屋の扉の前で鍵を開けようとすると、ガチャっと扉が開いて、「おかえり」と母がにっこりと迎えてくれた。「あれ?帰ってたの?」とあたし。「うん。今日はごめんね。たのしくすごせた?」「うん。それなりに」玄関でくつを脱いで、廊下を歩きながら話をする。西日の差しこむアパートの一室。台所のテーブルにスーパーの買い物袋を置く。母はやかんに火をかけている。あたしは洗面所に手を洗いに行く。牛乳石鹸。洗面台に映る顔。今日は軽くお化粧をしたので、いつもよりも顔色がよく見えて、頬や唇が赤く色づいて見える。なんとなく鏡の前でにっこり笑った。「夜ごはんはうどんで良いの?」と母が台所から顔を出し言った。「良いよ」、とあたしは答える。お湯の沸く音がする。 「今日、変な男の子に会ったよ」 あたしは食卓の椅子に座り、紅茶を入れている母の背中に向かって声をかける。 「どんな?」笑みを含んだ声で母は聞く。 「自分のことを、これから先輩って呼べって言うの」 「これからさき、会うかどうかわからないのに?」 母はあたしの前に紅茶をいれたマグカップを置いてくれる。ありがとう、とあたし。母は自分にはコーヒーを入れていた。 「そこがおかしいよね。これからさき会うかどうかわからないのに、これから自分のことを先輩って呼べなんて」 「案外、会うかもしれないわね。屯所で知り合ったわけでしょう?」 「うん。ママのこと知ってるって」 「あら。そうなの?」 「沖田総悟さん、っていったかな」 「あら。あなた沖田くんに会ったの?あのこ、ハンサムでしょう」 母はおかしそうにくすくす笑っている。やっぱりあの男の子はどこか変わった人なんだ。 「うん。沖田さんて、どんなひとなの?」 「かわいい子よ」 母はにっこりとそう言って、椅子から立ち上がり、夕食の準備をはじめる。あたしはマグカップに口をつける。あたたかくて、甘くて、おいしい紅茶。あたたかいものがあたたかい、おいしい、と思える季節ももうすぐ終わりだとおもうと、少し寂しい。 : つぎの日、朝から万事屋さんに遊びに行った。万事屋さんの朝は遅い。たいてい、神楽ちゃんもさかたぎんときも、10時くらいにならないと起きてこない。朝から万事屋に行くことも多いけれど、午前中はみんな元気がない。とくにさかたぎんときはけだるそうで、ソファの上でごろごろと寝そべって、テレビをみている。そして新八くんはてきぱきと万事屋の家事を片づけている。部屋の掃除をしたり、洗濯物を干したり。そしてあたしはそれを手伝う。新八くんのいるお陰で、万事屋はいつもきれいだ。朝、万事屋に向かう新八くんとばったり会うことが多い。だからあたしと新八くんはたいていいつも一緒に万事屋へと向かう。あたしは最近、貯めたお小遣いで自転車を買ったので、アパートから自転車で万事屋に行くことが多い。新八くんに会うと自転車をおしながら、他愛のないおしゃべりをして、万事屋へと向かう。それが習慣になっていた。あたしはいつも着物で自転車に乗っているのだけれど、新八くんはあたしのそういう姿をはじめて見たとき、「なんだかはいからさんが通るみたいだね」と笑っていた。下駄じゃ自転車には乗りにくいし、あたしもはいからさんみたいに袴にブーツで自転車に乗ろうかな、なんておもったり。 「新八くん。おはよう」 「あ、おはよう。ちゃん」 大江戸スーパーの前で新八くんを見かけたので、声をかけた。スーパーの前の通りをずっとまっすぐ歩いていくと、万事屋だ。 「今日はあったかいね」 「そうだね。もう春も近いね。家の梅の花も咲いてたし」 「そういえば、お妙ちゃんは元気?」 「元気だよ。今日は金曜日だからお店も混むだろうしって、たくさん寝とかなきゃって言ってたよ。朝、姉上が帰ってくるんだけど、疲れた顔ひとつせず笑顔でいて、すごいなって思うよ」 「パワフルだね。お妙ちゃん、えらいなあ。いつだって前向きで強かで。明日はお休みなの?」 「うん。そういえば、ちゃんに最近会っていないから、会いたいって言ってたよ」 「あたしもお妙ちゃんに会いたいよ」 「伝えておくね」 お妙ちゃんの話をしているときの新八くんは、なんだか嬉しそうだ。お妙ちゃんのことをいつも心配していて、大事に思っていることがよくわかる。新八くんはお姉さん思い。あたしにはきょうだいがいないから、お妙ちゃんと新八くんの関係が、すこしうらやましい。 : 万事屋に着くと、珍しく神楽ちゃんもさかたぎんときも起きていた。おはよう、と言うと、神楽ちゃんは「ちゃん!今日は何して遊ぶアルか」と嬉しそうな顔をする。ソファに寝転んでいたさかたぎんときは、あたしに気がつくと、「よお、」とすこし笑ってくれた。 「今日は町で遊びたいな」 「ゲームセンターとか行くアルか」 「うん。あとバッティングセンター行きたい」 「おい、神楽とバッティングセンターなんて行ったら大変だぞ」 「ん?なにが?」 「なにがって神楽、おまえは力加減ってものを知らないんだから打った球で天井とか破壊しそうじゃん」 あたしは神楽ちゃんがバッドで高速の球を打つ姿を想像する。たしかに球が天井を突き抜けていきそうだ。新八くんがコップに牛乳を注いで出してくれる。「誰ですかこれ。ビスコとうまい棒ばかりこんな…」とお皿に大量のビスコとうまい棒のコーンポタージュ味を入れて出してくれる。 「ああ。それ俺。パチンコの景品」 さかたぎんときがだらり、と手をあげる。 「なんでビスコとうまい棒ばかりなんですか」と新八くん。 「なんでっておまえらが強い子になれるようにビスコ貰ってきてやったんじゃん。親心だよ」 「うまい棒はなんでコーンポタージュ味だけなんですか」 「子どもはコーンポタージュ大好物だろ?なんてほら、前ファミレスに行ったときコーンポタージュおかわりしてたじゃん」 「え?そうでしたっけ」 「そうだよ。おまえもう忘れたの?」 「たしかにコーンポタージュは好きですけど。でもこれだけあると飽きそうですね」 あたしはさっそくうまい棒の袋をぺりぺり破りながら言う。神楽ちゃんはとうにうまい棒を10本ほど口に突っ込んで食べていた。神楽ちゃんがいればこれだけたくさんのビスコもうまい棒も難なく消費できそうだ。うまい棒を食べて、ビスコを食べる。ビスコはビスケットを分解して、下に塗ってあるクリームをビスケットにつけて食べた。うまい棒も、ビスコも、どちらもなつかしい味がした。 : 午前中はだらだらと過ごした。意味のないお喋りが心地よかった。午後の予定を話し合っているうちにもう夕方になってしまいそうだった。新八くんが洗濯物を干していたので、手伝った。夕方には帰ってきて、洗濯物を畳むのを手伝おう。あたしと神楽ちゃんは、空間に飽きるとよく川に行って遊んだ。浅瀬で足だけを浸してきれいな石を拾ったり、生き物を探したり、ダムを作ったり、たまに魚釣りをしたりして。川で遊んでいると色々な人に会った。パトロール中の真選組の隊士さんとか。散歩中のお妙ちゃんとか。変装をした桂さんとか。釣れた魚を、ときどき自分のことをよくマダオなんて自虐している、ひどいときは屋根のない生活を送っているおじさん、長谷川さんにあげにいった。長谷川さんは魚を渡すと、「お嬢ちゃんは優しいね」と泣きそうな顔をして喜んでくれた。まだ川は冷たいけれど、今年も足を川に浸して遊ぶ時期がやってくる。そうやって一年が過ぎていく。この町で。 午後は、新八くんと、「いやだよ大人はいそがしいの」なんて言うさかたぎんときもつれてゲームセンターに行った。真昼間から雁首そろえてゲームセンターなんて万事屋はなんて暇なんだと思いながら、ゲームセンターを堪能した。近頃はゲームセンターはお年寄りの憩いの場にもなっているらしい。あたしも神楽ちゃんもさかたぎんときも新八くんもお金がないから、それほど色々なゲーム機を試せなかったけれど、たのしかった。新八くんは太鼓の達人で何度も遊んでいた。寺門通の曲がいくつもあったらしく、嬉しそうだった。神楽ちゃんはさかたぎんときに定春に似たぬいぐるみをとってもらって、とても喜んでいた。わたしもおそろいのぬいぐるみをとってもらって、大事にしようと心から思った。さかたぎんときはあたしと神楽ちゃんに「とって!とって!」とUFOキャッチャーまで引きずってこられるまでの間、よくわからないプロレスのゲームをやっていた。さかたぎんときは負けず嫌いなので、よっしゃ絶対に取ってやる!と白熱していた。あたしと神楽ちゃんは横からひたすら応援していた。 最後にみんなでプリクラを取った。一枚目のプリクラはさかたぎんときがピースのポーズの準備をしている最中に撮影が開始されてしまって、さかたぎんときが妙なポーズをとっていて、それがたまらなく可笑しくて、みんなで笑った。さかたぎんときは「なんだよこれふざけんなよ…」とひとりぼやいていた。あたしは笑いすぎて顔がくしゃくしゃになっている写真もあったけれど、でも万事屋のみんなでプリクラを撮れたことがうれしくて、あたしは中でもお気に入りの一枚をこっそり携帯電話の裏に貼り付けた。 |