公園のカラフルなジャングルジムのてっぺんで、あのこは傘をひろげていた。 あのこは冬の白い日差しにほんのすこし目を細めた、あのこの真白い肌が太陽のひかりに透けてみえた気がした、とてもきれいな横顔だった。それからあのこは、あのこをみつめるあたしの視線に気がついた、そしたらあのこは、いつものようにわらってみせて、ほんのすこし傘を振った。にかっと飾り気のない笑顔。あたしもまたあのこをみて笑う、笑ってしまう。あのこはジャングルジムのてっぺんからジャンプした。まるで傘で飛んでいるみたい。あたしは声を出して、笑いながら手を振って、あのこのもとに、駆け寄った。 あのこはいつも、赤い服。傘をさして歩いてる。口元にはいつも、酢昆布をくわえていて、それをもぞもぞしゃぶるように齧ってる。





あのこ、神楽ちゃんと初めて会ったとき、あたしはまだほんのちいさな子どもだった。ほんのちいさな子どもといったって、3、4年くらい前のことだから、10歳か11歳くらいの年頃の、少女マンガの受け売りなのかロマンチストで感傷的で、甘ったれでだらしなかった。そんなころ。神楽ちゃんはあたしよりも年下で、いまはちょうどあのころのあたしよりほんのすこし年上くらいの年頃なんじゃないかとおもう。わからないけど。たぶんそう。

まあこの街のひとたちは、基本的には年齢のことなんて気にしない。赤ちゃん、子ども、女の子に男の子、お姉さんにお兄さん、おじさんにおばさん、おじいさんにおばあさん。年齢に関してはそういうアバウトな見方しかしていない。べつにひとの年齢なんか、気にしない。ここはそういう街だから。赤ちゃんも子どもも女の子も男の子もお姉さんもお兄さんもおじさんもおばさんもおじいさんもおばあさんも、関係ない。それぞれに適した接し方をするだけだ。あたしもあのこも、まだ女の子という年頃だ。それは確かなことだった。


数年まえに越してきたこの街は、ふしぎな街だ。ほかの街とはすこし違う、独特な性格を持っている。ひとくちでいえば珍妙。へんな街。色々なものが混じり合ってる。義理とか人情とか、使い古された表現だとは思うけど、でもじっさい、この街のひとたちは、基本的にはあたたかい。義理と人情の街。でも一方で、不浄な性格を持つ街でもある。汚い大人もたくさんいる。うそつき、だめにんげん、へんたい、はいじん。いろいろ。風俗店も多いし、卑猥な広告も多い、治安もあまり良いとはいえない。でも、それでも歓楽街をすこし離れると、古風な街並みが広がっている。そこは静かで、子どもが遊ぶ場所もたくさんある。公園はもちろん空き地も多い。

あたしは、この街のことがけっこう好きだ。歓楽街にはあたしの知らない未知なものがたくさんあって、あたしはそれに対してほんのすこし憧れをいだく。そういう年頃。こども心。あたしの少し年上の友だち、(神楽ちゃんを通して知り合った)、お妙ちゃんというお姉さんが、そういう類の職業、いわゆる夜のお仕事というものに就いている。神楽ちゃんはお妙ちゃんのことをあねご、と呼んでいる。仕事に行くときのお妙ちゃんはきれいだ。普段もきれいなお姉さんという感じなんだけれども、でも、仕事に行くときのお妙ちゃんはとくにきれい。お妙ちゃんはきれいだけど、少々乱暴でずぼらなところがある。
お妙ちゃんはときどきとても乱暴だけど、でも根はやさしくて、包容力のある、お姉さんだ。いつもにこにこしている。でもその笑顔を保ちながら乱暴なふるまいをしたりもするから、ときどきちょっとこわいんだ。だけど普段はふるまいかたとかちゃんとした大人の女性って感じだし、育ちが良さそう。


あたしはときどき、お妙ちゃんの働いているお店に遊びに行く。本来は男の人が、きれいな女の人とお酒を飲みながらお喋りをするお店であって、女であるあたしは行くべきではない。でも、お妙ちゃんがお店のひとに事情を話してくれて、あたしはときどき出入りできる。お妙ちゃんの働いているお店は、良いひとが多い。はじめてそのお店に入店したときは、やっぱりすこし緊張したけれど。もちろんあたしは未成年なので、お酒は飲めない。 お妙ちゃんのお店に行くときは、もちろんひとりではなく、万事屋のみんなと一緒に行く。


万事屋さんっていうのは、神楽ちゃんが働いている、お金さえ払えばなんでもやってくれるっていう、何でも屋さんみたいなところ。あたしもときどき万事屋さんのお仕事を手伝ったりする。あたしが出来る範囲内のお仕事だけだけれど。例えば逃げた飼い猫の捜索とか、どぶさらいとか、電話を受けたりとか。まあ週に4回くらい、定期的にあたしは万事屋さんを訪れる。
スナックおとせという、街で名が知られている名物女将の切り盛りするお店の二階に、その事務所はある。


あたしの母がむかし、その万事屋さんにお世話になったことがあったらしく、「何かあったら万屋さんにいきなさい」、とむかしから言いつけられていた。そのときはまだ他の街に住んでいたから、万事屋さんがいったい何のことなんだか、よくわかっていなかった。当時住んでいた街によろずやという名前の駄菓子屋があったから、万事屋さんもまた駄菓子屋なのかと思っていた。そして同時に駄菓子屋さんが窮地に立たされたあたしにいったい何をしてくれるというのだろう、と思っていた。あたしはそのころ、万事屋さんに関して何の知識も持っていなかった。


だけどあたしがいま住んでいるこの街に、万事屋さんの事務所があることは知っていた。引っ越してきたばかりのころ。というのも母が、万事屋さんの名刺をつねに携帯しておくようにとあたしに話していたからだ。あたしは顔も知らない万事屋さんの名刺を、定期入れのなかにしまっていた。それはいつも定期券に隠れて見えなかった。だけどたしかその名刺の中心には万事屋、と大きな文字で記してあって、その隣に小さく住所と電話番号が記されていた。そしてその隣には万事屋の代表者?である人物の名前が記されていた。その人物の名前は、坂田銀時。
珍しい名前だったから、忘れっぽい性格のあたしでも、覚えていた。
万事屋さん。さかたぎんとき。かぶき町。

母はときどき万事屋さんの話をした。万事屋さんは銀髪に天然パーマで、普段は死んだ魚のような目をしているひとで、でもいざというときのあの人はすごいのよ、と母は語った。母の話す万事屋さんの話はいつも断片的で、抽象的で、なんだかよくわからない話が多かった。だけど母が万事屋さんのことを深く信頼しているということは伝わってきた。